アイリッシュマン

アイリッシュマン

昨日の「読まれなかった小説」の上演時間189分を超える作品である
何と209分もの上演時間である 約3時間半である
この作品も最初は、映画館で観ようか?かなり悩んでしまったのだが
Netflixの作品であるので、会員でない私に映画館での上映後に鑑賞の
チャンスはなさそうなので意を決して観てみた

この作品、まず最初に惹かれたのは主要人物3人の豪華キャストである
皆、映画の一時代を築き上げたレジェンド達である
更にはこのキャストで映画を作れる監督は非常に限られると思うが
巨匠マーティン・スコセッシが監督だと言えば納得する

私が映画に目覚めた1本に「タクシードライバー」がある
この作品、今さら説明不要なほどの名作であるが
マーティン・スコセッシとロバート・デ・ニーロが最初にタッグを
組んだ作品である(正確には2作目だが、日本公開は最初になる)
それから40年以上の時を経て、本作が9度目のタッグだという
すごく意外なのが、マーティン・スコセッシとアル・パチーノは
初タッグになるという 
これには意外過ぎて驚いてしまった

この作品のベースはチャールズ・ブラントのノンフィクション作品
「I Heard You Paint Houses」が原作である
題名にもなっていて、映画の中でもしばしば登場する
「家にペンキを塗る」、「ペンキ屋」とは裏社会の用語で
人殺しのことを指している
(血しぶきが家の壁に残るところから来ているみたいだ)

物語りは”アイリッシュマン”ことフランク・シーラン
(ロバート・デ・ニーロ)が、老人となり、死を待つだけの老人ホームで
車いすに座り、第二次大戦後のアメリカ闇社会に
深く関わった自分史を語る形で物語は進んでいく
自分がどのようにギャングに関わり、殺人を犯していったかが
時系列で映像化されていくシンプルでわかりやすい作りとなっている

ちょっと面白いのが、登場する人物の紹介の時にその人物の
最後が書き込まれているのだが、多くが殺されて最後を迎えている
つまりろくな死に方をしていないのである

最後に最も悪であった証明のようにひとり生かされ、子供たちとも
絶縁状態で孤独な中で犯した罪への罪悪感と、やがて訪れる死への
恐怖の中でのシーランの表情に人生まで映されているようだった

そしてラストの司祭が部屋から出ようとするシーンは更に印象的だった
シーランは、司祭に自身が殺したかつてのボスであり、恩人であった
ホッファの習慣であった部屋のドアを少し開けておくことをお願いした
ホッファの感じていた孤独や恐怖を、ホッファを殺したシーランが引き継いだかの
ように思えた

読まれなかった小説

読まれなかった小説

2018年制作でトルコ・フランス・ドイツ・ブルガリア
マケドニア・ボスニア・スウェーデン・カタール8か国の合作映画
この作品、合作した国も多いのだが、上映時間も189分と長い
最近長い作品は体力的な問題を理由に、徐々に敬遠するように
なった私にとっては、観ようかどうか悩んだ作品である

3時間を超える作品とは一日の1/8以上の時間を費やすことになる
(こんな計算をする人は少ないかもしれないのだが…)
窮屈ではないが、自由にはできない劇場の椅子に座り続けることは
やはりなかなかツライと思う

監督はトルコの巨匠ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
知人の父子の物語に魅了され、自身の人生も反映させながら
完成させた作品だという

見始めてトルコの国旗とトロイの木馬が出てきたときに
初めて舞台がトルコであることがわかり、少しうれしくなった
2002年に一度行ったことがあるが、素敵な雰囲気を持った国で
私は好きな国になった

ストーリーは主人公シナンが大学を卒業し、故郷に帰るところから始まる
作家になることが夢であるシナンだが、周囲は冷ややかだ
処女小説を出版しようとするが、誰からも相手にされない
しかし若さの真っ只中にある彼は、勢いで突き進むだけで
冷静さも自己分析もできない

やがて、軽蔑しているギャンブル狂いの父親イドリスと
同じ職業である教員試験を気が進まぬままに受けるが
彼の正直な気持ちは、そのような平凡な人生に興味が持てないでいる
そんな彼だったが、何とか処女小説「野生の梨の木」は出版できた
結果、全く売れなかったこの本だが、出版した時母親や妹は喜んではくれたが
結局この小説を読んだのは、出版したことも告げてない父親只一人だった

若者が精神的に成長し、周りと自身をこれまでより深く知っていく過程で
過去あんなに対立し、嫌いだった父親を理解するようになっていった
それは他は誰も読まれなかったシナンの小説が、2人の心を繋いでいくようだった
いびつだけれど食べると案外、うまい野生の梨の木の実
シナン自身もそうであるが、父親イドリスも自身そんなものだと感じていたのだろう

きっとどの国でも共通するような普遍的な題材を189分という時間を
かけて丁寧に描いた作品
静かなシーンが多いので前半は所々眠ってしまったが、ラストには
静かな余韻が残った

やなぎみわ展 神話機械

やなぎみわ展   神話機械

私は、やなぎみわの作品は「マイ・グランドマザーズ」だけしか
知らなかったが、この写真集を初めて見た時は結構面白いと思った
写した途端、過去になってしまう写真を使って
50年後という途方もない将来を勝手に妄想して撮るという
とても夢とユーモアのある作品だと思えた

そんなやなぎみわの活動のほとんどを紹介した展示が
この「やなぎみわ 神話機械」である
この展示は昨年より全国を巡回しており、高松、前橋、福島、神奈川と
巡回してきて、ここ静岡が最後の展示であった

現代美術の展示ということもあり、この日はご本人と館長との対談が
予定されているにもかかわらず、来館者は少なくて見やすかった
そしてこれも現代美術の展示の特徴だが、来館者は
圧倒的に若い人が多かった

比較的初期の写真作品から映像作品、演劇作品そして福島県内の果樹園で
桃を撮影した新作シリーズまでいろいろな展示がされていた
勝手な感想だが、どれもコンセプトがしっかりしていて
いかにも理論武装されていそうな感じがした

それぞれの好みだとは思うが、私の中で写真表現の究極は
写真そのものとタイトルだけの言葉の存在で、ほぼ
表現しきれてしまう作品だと思う
当然視る者の力量にもよるが、ここに到達するには
言葉を超える視覚的表現が間違いなく必要になってくるからである

何十枚も重ねた言葉を超えてこそ、そこに写真を使った意味が
出てくるのだと思う
そんなことを考えながら視させてもらった