リタとリコ ~「セチュアンの善人」より~

リタとリコ ~「セチュアンの善人」より~

もう昨年の12月に観劇したこの作品
記事にするのに時間がかかったのは、観終わってから原作を
読んでみたくなったからだ
「セチュアンの善人」の作者であるブレヒトの戯曲集を現在
ネットを探してみても結構高価だし、新品は極端に少ない
だからちょっと読んでみたい程度の私がこれらを購入するには
抵抗があった

そんなことで結局、図書館で借りることにした
検索すると図書館には2種類、2冊の本があったので
その中の1冊を借りて読むことにしたのだった
改めて感じたのだが、図書館の本は計画的に読むようになるので
手持ちの本を読むよりすっと早く読むことができ、快適であった
私の場合、やはり締め切りがあるとまるで違うものである

観劇した作品の原作をその後に読んでみたのには訳がある
主人公で同一人物である「シェン・テとシュイ・タ」のキャラクターが
かなり引っかかったからである

劇内ではこの対極にある主人公二人のキャラクターがかなり弱いと感じた
全く違う性格を出すには、ある程度オーバー気味なキャラ作りもありだと
思うが、中途半端におとなしい
だから周りの人物におされているように見えてしまい、存在感も薄かった

私の記憶が違っていて、この劇で演じられている「シェン・テとシュイ・タ」が
戯曲の感じだったのかを確認したかったのである
そして読んでみて私の記憶の二人であることを確認できたのだった

あの出来事

あの出来事

何も前知識を入れないで観た方が、面白い演劇もたくさんある
そのような作品は、観終わってから色々と調べることによって
面白さを再確認できたりする
本当はその後、再度観ると完璧だと思うが、実際そこまで
クリアすることは、なかなか難しいだろう

そんな前知識を持たずに観た作品のひとつに、この場所で今年観た
「骨と十字架」がある
古生物学者・地質学者でもあったピエール・テイヤール・ド・シャルダンを
描いた作品であったが、この人物の名前すら知らずに観たのだった
そして観終わった後に、この人物を調べてみたのだが
彼の足跡を読んでいく度に、演劇での各シーンが蘇っていった
これは、彼がわかりやすい人物だったからかもしれないが、初めての体験だった
だからというわけではないのだが、この作品についても
全く前知識を入れずに観劇してしまったのだった

本作はデイヴィッド・グレッグ作「The Events」の日本版である
その作品を瀬戸山美咲が演出、谷岡健彦が翻訳している
谷岡健彦さんはエジンバラ演劇祭で初演されたオリジナルを現地で
観劇しているそうである

この作品は意外にも2人芝居だ
登場人物は、銃乱射事件で生き残った女性とその犯人である少年である
生き残った女性クレアは、合唱団の指導者という設定で団員のすべてを
失ったという設定である
この死んでしまった合唱団は劇の中でコロスとして登場し
この物語のアクセントになっている
クレアを南果歩、犯人である少年を小久保寿人が演じている

私が見終わって感じたことは、この作品に関しては前知識がないと
理解することはかなりツライということだ
少なくともウトヤ島で起きた、極右青年による銃乱射事件について
事実だけでも押さえておかないと、かなり不思議な劇にしか見えないと思う
そんな私も観終わった時にたくさんの?マークが頭の中を回っていたが
事件を調べていくうちに考え方が変わっていった

この悲惨な事件は、どうしてもビジュアル的に表現したくなるところだが
この作品は、内面的な事件として捉えて表現していった作品になっている
クレアの思考が一旦は「赦す」、「理解する」といったところを通って
「わかり合えない」へとたどり着いていくのだが、気がおかしくなりかけていた

想定外なほどの不条理を、普通の人が簡単に理解など出来ないだろう
この事件を調べてその後、劇を思い返した時に私はそんなことを思った

どん底

どん底

この秋の新国立劇場の演劇は「ことぜん」シリーズ3本が上演される
私には聞き慣れてないこの「ことぜん」という言葉は、この劇場の
芸術監督である小川絵梨子さんが言うことには個と全を
指している言葉だという

個とは個人のことで、全は国家や社会構造、集団といった
集合体のことである
ここまでわかると何となくだが、個人と集団との関わりを
テーマとしたシリーズなのだと推測できる

このテーマは実に身の回りに多くて、いたるところに存在している
というか、このシステムが関わり合ってないものを
探す方が大変なくらいだと思う
しかしながら、どこにでもあるからと言って誰もが個と全のシステムを
理解し、誰もがうまく立ち回れえているとは限らない
むしろ自分に置き換えて考えてみても、個と全の関係を意識し
上手に立ち回れたことなど限りなく少ないと思う 

個性を持つ個人が集まった集合体は、全く予測不可能といってよいだろう
だから常に変なことが起きてしまうし、それがいつも違うのでより面白い
そして理由を明確に言うことはできないのだが、このようなテーマは
映画というより断然、演劇向きだと私は思う

そんなシリーズ3作品の最初の1本が、この作品「どん底」であった
ロシアの作家ゴーリキーの戯曲である
大変有名な作品で世界中で演じられる作品だが、私は戯曲も
読んことはなく、演劇でも初めて観た作品だ

時代は20世紀初頭のロシア
社会の底辺に暮らす人々が集うボロ宿が舞台となっている
宿の夫妻と妻の妹、そしてそこにいるしかない「どん底」な
人々が絡んだ物語である

初めて観た私の感想は、不思議な作品だと思った
ストーリーはほとんど無いに近いと思うが
だからといってわかりにくい作品にはなっていない
むしろセリフの意味は、よく理解できる作品だった
ストーリー全体通してだが、小さな希望が大きな絶望で
かき消されていくような閉塞感が充満しているかのようだった

そして、この空気の中にゴーリキーの表現したい世界があって
五戸さんが、演劇で表現したい世界もあることを想像すると
とても哲学的な話に思えてくるのだった